2018年5月5日土曜日

プロフィール


 病気という挫折から立ち直れたのは寡黙な父の“ひとこと”による

 

私が中学生の頃でした。訴訟に巻き込まれた経験のあった父が、当時の経験を語ってくれました。話の最後に、「将来は弁護士になったらどうか。困っている人の味方になれる職業として考えてごらん」と言われたのです。弁護士という職業を、その時初めて意識しました。

高校3年生の時、呼吸器系の病気に罹り、医師の誤診も重なって、病気の発見が遅くなってしまい、数ヶ月の入院を余儀なくされるという不運に見舞われました。高校卒業時、周りの同級生はみな進学したり、就職していき、私だけ一人取り残されました。人生初めての躓きでした。そんな私を救ってくれたのも、父の“ひとこと”でした。「この程度のことはどうってことはない。人生は長いのだよ」この父の一言で、私は立ち直れたと思います。

大学進学が叶ったのは21歳の春でした。父の励ましもあり、精神的に立ち直っていましたので、大学3年の頃から、司法試験をめざして勉強しました。試験には何度も跳ね返されましたが、楽天的な性格もあって、乗り越えることが出来たように思います。

 

3つの誓い

弁護士活動の中で、私は次の3つのことをモットーにして活動しています。

1、「弱者の立場に立つこと」

先ほども述べた通り、私は高校生の時に大きな病気で入院して人生の挫折を味わいましたが、そのようなときに、家族をはじめ周りの人たちに助けられました。現在の私があるのは、家族や多くの友人・知人のお陰です。いくら感謝しても感謝しきれません。

  私の弱者の立場に立つ弁護士としてのモットーは、自分自身が病気に見舞われ、ひとり取り残された青年の時の苦い体験が原点になっています。

2、社会を良くするために力を注ぐこと」

アメリカの欠陥車告発運動で有名なラルフ・ネーダー弁護士は、NGO「パブリック・シチズン」の設立者であり、消費者運動家としても知られています。アメリカの大統領選に出馬した経験もある彼は、市民(シチズン)には、社会を良くするために尽力する“パブリック・シチズン”と、自分の幸せだけを考える“プライベート・シチズン”の 2つのタイプがある、として、「世界中の国々で、”パブリック・シチズン”を増やしていこう」との呼びかけをしています。

ネーダー弁護士の呼びかけに賛同して、私も“パブリック・シチズン”を増やすべく、非喫煙者の権利擁護を目指して市民運動に力を注いできました。

3、多角的な見方をすること」

  弁護士という仕事は、多角的な見方をすることが大事と思います。例えば、子供を虐待する母親のケースなどでは、目の前に見えていることだけではなく、もう少し時間軸を長くみることも必要で,今まで見えなかった影の部分が姿を現す、ということがあります。事案の全体的な把握のためにも、多面的にみることが大切と思います。

 

これからも弁護士活動を続けていく中で、この3つのポリシーを守っていきたいと思います。

 

 ー新幹線に禁煙車両を新設・増設させるまでー

先ほど「市民運動に力を注いだ」と申し上げましたが、この活動は、元を辿れば、私の病気と大きく関係しています。

司法修習生だった頃、即日起案と言って、判決文など作成する試験の時に、教室内に灰皿が置いてあり、修習生は喫煙しながらの作業が認められていたのです。私は、事務当局へ行って、「喫煙者と一緒には作業ができませんから、廊下で課題をさせて下さい」とアピールしたのです。その発言がきっかけとなり、しばらくして司法修習生の教室内の灰皿は全て撤去されました。

また弁護士になってすぐのこと、家庭裁判所などの待合室に赤ちゃんのためのベッドが置いてあるのですが、そのベッドの隣に灰皿が置いてあったのです。そこで、家庭裁判所の総務課へ行き、「赤ちゃんのベッドの隣に灰皿とは、あまりにひどすぎないか。灰皿は撤去すべきです」と強く抗議しました。裁判所では、私の抗議を受けて、すぐに待合室内の全ての灰皿が撤去されました。

 東京地方検察庁へ行ったときにも、待合室内に灰皿が置かれていましたので、直ちに総務課へ行き、灰皿撤去を要請しました。こちらの方も、すぐに灰皿が撤去されました。

1978年、「嫌煙権確立をめざす法律家の会」を結成しました。弁護士、学者約20名のメンバーが集まりました。1980年、国・国鉄(現在の「JR」)・日本専売公社(現在の「日本たばこ産業」)を被告とし、当時の国鉄当局には半数以上の車両を禁煙車とすること、国と日本専売公社(当時)に対しては、行政怠慢による原告らの被害に対する損害の賠償を求めて、嫌煙権訴訟を提起しました。この訴訟では、16名の弁護団を結成し、私は主任弁護士として活動しました。

訴訟提起後すぐに、新幹線の一両に禁煙車が設置されました。その後、全国のすべての特急列車の禁煙車設置や全国の公共施設の分煙および禁煙化がどんどん進みました。私たちの活動によって、社会がダイナミックに変わっていく姿をこの目で見ることができました。この経験は非常に感慨深かったですし、弁護士という仕事のやりがいを改めて感じました。

 

「ごめんなさい」と「ありがとう」の“ひとこと”が、人の心を動かす。

数年前に、離婚を切り出された夫側の代理人についたことがありました。

「妻が勝手に家を出て行った」と怒りを露わにする夫。一見、妻側の身勝手な行為に見えましたが、いろいろお話を聞いていくうちに、だんだんと様々な事情が見えてきました。

実はこの夫、結婚当初、ギャンブルにハマりこみ、家庭をまるで省みなかったということがあったのです。当時は、妻が一人で幼子の面倒を看るという状態でした。時が過ぎても、妻はその時とても大変だったことが忘れられず、夫に不信感を抱き、「やっぱり一緒には生活できない」と家を飛び出したのでした。

 その事情に接して、私は、依頼者の夫に対して、身勝手だったころのことをきちんと妻に詫びるべきではないかと進言しました。

妻の行動を批判する前に、まずは夫が過去の自分の行いに対してしっかりと反省し、謝ることから始めよう、そう考えました。

私のこの進言を、夫が理解してくれました。夫は、私のアドバイスに応えて、妻に対して、「苦労をかけて申し訳なかった」と率直に謝罪しました。夫の真摯な謝罪が妻の心を動かすことになりました。

 平素の生活でも、妻の日々の家事などに対して、「ありがとう」と感謝の気持ちを表すことが結婚生活円満の“ひとこと”になると思います。

 「挑戦する姿勢」

弁護士歴40年以上になりますが、この40年の経験を経て、確かだと思うことが一つあります。それは、「挑戦する姿勢」の重要性です。

弁護士になってすぐに担当した東京高等裁判所の強姦致傷被告控訴事件(国選弁護事件)で、東京地裁の有罪判決を全面的に争い、逆転の一部無罪判決を勝ち取りました。弁護人として、犯行現場の検証を自らやり直し、警察の実況見分調書の誤りを告発したのが決め手になったと思います。

また、勝訴が難しいと言われる行政事件の「業務停止命令取消訴訟」で、全面的に勝訴を勝ち取りました(「行政関係事件訴訟」(青林出版)の第12章に裁判報告を執筆)。

そして、私生活では、昨年、[ショパン国際ピアノコンクールin Asia](東京地区、ショパニスト部門)に、ショパンのワルツ作品69の2を演奏し、Bronze Prize(銅賞)を受賞しました。オフィス内にピアノを置いて日々研鑚しています。打ち合わせの合間にショパンのワルツなど演奏することもあります。

 苦しい時は、一人で悩まず、周りを見渡してみてください。手を差し伸べてくれる人が現れるかもしれません。ただ、人からの助けを待つだけなく、自分から道を切り拓いていく積極的な姿勢が大事ではないかと思います。私は、長年の弁護士活動を通じて、様々な経験を積んできていますので、あなたのお力になれると思います。ご連絡をお待ちしています。