2013年12月27日金曜日

安倍首相の靖国神社参拝に異議あり

 



  

  
  靖国神社は、戦後宗教法人となったが、もともと日本軍が管理していた。ウィキぺディアによれば、「創設当初は軍務官(直後に兵部省に改組)が、後に内務省が人事を所管し、大日本帝国陸軍(陸軍省)と同海軍(海軍省)が祭事を統括した」と紹介されている。この歴史的事実、そしてA級戦犯14人が合祀されている事実が重大である。中国・韓国が、早速安倍首相の参拝に強く反発したが、当然予想された事態である。日本と中・韓両国の関係悪化を懸念し、自制を促してきた米国も「失望」の異例の声明を発表し、日米関係もぎくしゃくしている。
  改めて、日本国憲法によれば、「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」(前文)と宣言している。
  憲法第20条によれば、「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない」(3項)と定めている。
  2001年の小泉首相の参拝に対し、福岡地裁は、2004年「違憲」判断をしている。
  今回の安倍首相の参拝は、先の特定秘密保護法の強行採決、「国会デモをテロと同視する」石破自民党幹事長の発言などと一貫したものと言わざるを得ない。政権中枢が、このように、憲法の基本理念を全然理解しているとはいえず、その右傾化は看過しえない。安倍首相の参拝は、政治哲学を論ずる以前の、国益を損ねているという意味でも”愚行”と言わざるを得ない。
  
 





 
 






  
 
 






2013年11月26日火曜日

「特定秘密保護法案」の廃案を求める「世界平和アピール七人委員会の声明」


WP7 No. 110J

「特定秘密保護法案」の廃案を求める

 

20131125
世界平和アピール七人委員会
武者小路公秀 土山秀夫 大石芳野 池田香代子 小沼通二 池内了 辻井喬

 

私たち世界平和アピール七人委員会は、政府が今国会に提出している「特定秘密保護法案」は、その内容も審議の進め方も、民主主義と日本国憲法にとっての脅威であると危惧し、本法案を廃案とすることを求めます。

 

 民主主義は、主権者である私たちが政策の可否を判断できて初めて成立します。市民の知る権利は、その不可欠の前提です。私たちは、麻生内閣のもとで成立した「公文書等の管理に関する法律」(公文書管理法(注1200971日施行)において、公文書を「健全な民主主義の根幹を支える国民共有の知的資源として、主権者である国民が主体的に利用し得るものである」と位置づけていることを高く評価します。

 

 私たちは、国家が直ちには公開できない情報を有することを理解します。ただし、政府は秘密の指定が適切であることを説明する義務を負うものと考えます。しかし本法案には、指定の妥当性を客観的な立場から検証判断する、政府から独立した第三者機関の設置は想定されていません。首相が第三者機関の役割を果たすことができないことは自明です。

 

国家の秘密は期限を定め、期限がきたものは、たとえ政府にとってマイナスであっても、歴史の検証にゆだね、政府に説明責任を果たさせ、その後の政策に役立たせるため、すべて公開すべきであると考えます。

 

 そのためには、指定解除前に関連文書が廃棄されることがないよう、保管が義務付けられなければなりません。沖縄返還をめぐる日米密約は、文書がきちんと保管されず、大臣や政権の交代に際しては、口頭ですら引き継ぎが行われず、著しく国益を損ねて今日に至っています。国家秘密の保管と例外なき開示を政府に義務づけない本法案は、こうした恣意性を追認するものであり、とうてい容認できません。

 

本法案は、安全保障、外交、諜報の防止とテロ対策に関する情報など、特定秘密に指定できる領域を広く定めています。これはただちに、裁判や国会審議の公開性や、国会議員の国政調査権の制限を招きます。

 

 また本法案では、研究者や政策提言組織、市民団体などの情報アクセス権が保証されていません。私たちは、時の政権の都合により、情報アクセスや表現の自由への制限が強まることを危惧します。のみならず、戦前の治安維持法の場合と同様、市民の側の萎縮を助長し、自由な情報の交換や闊達な議論をはばかる風潮が広がる危険性が少なくないと考えます。

 

 人権侵害に関する政府の秘密は、秘密取扱者にむしろ通報の権利と義務がある、とするのが世界の趨勢です。しかし本法案では、政府の違法行為にかかわる情報、政府が違法に秘密指定している情報、あるいは公益に資すると認められるにもかかわらず政府が秘密指定している情報などを公表した内部通報者やジャーナリストなどの保護が保証されていないことは、きわめて問題です。

 

 特定秘密取扱者の適性評価項目には、精神疾患・飲酒・経済状況などのほか、配偶者とその父母の国籍や元国籍なども含まれます。約6万5千人ともいわれる当該公務員だけでなく、官公庁と業務関係のある企業に勤める民間人まで含めて、広範な個人情報を国家が掌握し、家族の国籍や元国籍によって本人の処遇に差をつけることは、憲法に定められた法のもとの平等に抵触することは明らかであり、私たちは懸念を表明せざるを得ません。

 

 さらに本法案は、外国に特定秘密を提供できるとしています。具体的には、アメリカ合衆国への機密情報供与が想定されていることは明らかです。国家安全保障会議創設や集団的自衛権容認へと向かう現政府の動きを勘案すると、この規定は、核抑止を基本とする米国のグローバル戦略のなかにわが国を組み込むものであり、交戦権を放棄した憲法にも、国連の場で核兵器廃絶を支持しているわが国の方針にも、もとるものです。

 

 安全保障と市民の知る権利は、とくに2001年のアメリカ同時多発テロ事件以降、各国がその均衡に苦慮してきました。「国家安全保障と情報への権利に関する国際原則」(ツワネ原則)(注2は、世界の経験と英知の結集から生まれ、かつわが国も締結している国際人権規約にのっとったものであり、私たちはきわめて妥当であると考えます。

 

 とりわけ、「ツワネ原則」が秘密指定してはならない領域として、国際人権法や人道法に違反すること、公衆衛生に関することなどを提案していることは重要です。これは、東京電力福島第一原子力発電所事故に伴う放射性物質の拡散について、とくに初期の情報開示が充分ではなかったという痛恨の経験をした私たちにとり、切実さをもって理解できるものです。

 

かつて歩いた誤った道を、再び歩むことがあってはなりません。民主主義と相矛盾する本法案を廃案としたうえで、安全保障と市民の知る権利のバランスについてさらなる社会的な議論を深め、国会においても、性急な多数決に走ることなく、後世に悔いを残すことのないよう、野党の提案も真摯に審議し、取り入れるべきは謙虚に取り入れ、多くの市民が納得する方策を見出すことを、市民、政府、国会議員に呼びかけます。

 

注1 公文書管理法   http://law.e-gov.go.jp/htmldata/H21/H21HO066.html
2 ツワネ(Tshwane)原則 70カ国以上の500人を超える人権と安全保障の専門家の2年以上、10回以上の議論を経て、22の団体によって起草され、2013612日に発表された。ツワネは、最終会議が開かれた南アフリカ共和国の都市である。http://www.nichibenren.or.jp/library/ja/opinion/statement/data/2013/tshwane.pdf

 

連絡先:世界平和アピール七人委員会事務局長 小沼通二

メール: mkonuma254@m4.dion.ne.jp ファクス: 045-891-8386
URL: http://worldpeace7.jp

2013年9月30日月曜日

本を読む(4)


林 俊郎 著 「ダイオキシン情報の虚構」(健友館)

 

 15年前のあの大騒ぎしたダイオキシン騒動は、意図的に歪められた情報操作による“虚構だった!”。著者は、この本の中で、その虚構の事実を、具体的に次々に暴いて論証している。

 この本の帯には、「ダイオキシン情報の通説をくつがえす!」「生活を科学する目でみつめ直した、小さなゼミからの証言」とある。著者は目白大学教授で、生化学の専門家として細菌の代謝に関する生化学の研究論文を多数執筆しておられる。『流行する肺がん』(健友館)等の著者としても知られる。

 〔「所沢産廃銀座での赤ちゃん急増死」、「ダイオキシンに汚染された母乳によりアトピー急増」、これらは根も葉もない悪質なねつ造情報であった。この情報を真に受けて、「ダイオキシン汚染は、一刻の猶予もならない危機的状況を迎えた」として、150名を超える女性弁護士が立ち上がり「国民会議」を結成、引き続いて200名近い超党派の議員が国会で「議員連盟」を結成、ついに、政府はダイオキシン法案を成立させたが、その背後に、米国のしたたかな経済戦略の罠が!〕(裏表紙から)

 著者は、所沢市周辺のゴミ焼却問題に端を発して、NGOが証拠として作成したグラフには作為があり、「所沢赤ちゃん死急増説は虚構である」と、15頁を割いてその欺瞞性を暴いている。

 私がある友人に、この本のことを紹介したところ、すぐ出てきた言葉が、あのベトナム戦争の“枯葉剤の被害者”として盛んに喧伝されたベトちゃんとドクちゃんのことであった。枯葉剤の悲劇を否定することはできないではないか、という反応であった。実は、最初は私も同じような感じをもったので、友人の反応はよく理解できる。著者はいう。「実は、これらの人々を盲目的に洗脳させる、確かな仕掛け人がいる」

 問題のベトちゃんとドクちゃんであるが、あの二重合体の子どもは、昔から「シャム双生児」と呼ばれ、タイには、100年も前に、イン・チャンという二重合体の子どもがいたことが知られている。タイのシリラート病院外科博物館で、ホルマリン漬けのシャム双生児がたくさん展示されている。ベトナムだけでなく、枯葉剤も関係なく、農薬も使用されていなかった時代から、このような二重合体の子どもがある頻度で発生している(197頁)。

 イタリア・ミラノ市郊外にある小さな町セベソで、1976年7月10日、枯葉剤に使われていた除草剤2,4,5-Tの原料となるTCP(トリクロフェノール)製造工場で反応塔温度制御を誤り、高温・高圧となって反応塔の安全弁が破損し、ダイオキシンを高濃度に含むTCPが安全弁を突き破って吹き出すという大事故が発生した。吹き出した粉が幅700メートル、長さ2キロメートルの大きさの雲となって2000人の居住区域を覆った。この農薬会社は、ベトナム戦争の時代に枯葉剤の原料を米国に供給していた会社であった。このときのダイオキシンは、推定130キログラム、ベトナム戦争で10年間にばら撒かれた量に匹敵するダイオキシン量であったといわれている。この降り注ぐ白い粉の危険性については、事故後10日間も住民に一切知らせず、子どもたちは面白がって白粉の霧の中で遊んだ(125頁以下)。

 当時のセベソの住民の血液、3万検体が凍結保存され、追跡調査が現在も根気よく続けられている。そして今まで、セベソの住民の中から1人の犠牲者もでていないだけでなく、流産、死産、及び奇形児の発生並びにがん死の増加の兆候も全く認められていない(5頁)。

 著者は、踊らされたダイオキシン騒動から、日本民族の弱点をいう。①権威に弱い。②論理的に科学するという素養に欠ける。③脅しに弱い(38頁)

 法律家も“まんまと騙された”というダイオキシン情報の虚構騒動であった、というのであるが、この大騒ぎで大儲けしたものがいたといい、驚くべき事実が紹介されている(100頁以下)。

 林秀彦氏はいう。「論じる神に見放された民族は、論なくしては生存不可能な世界に突き放されて以来、衰弱の一途をたどっている。その存在は風前の灯火だが、この「存在」という言葉ですら明治に初めてbebeingから翻訳造語されたもので、この概念は日本人にはなかったものである」(『日本人はこうして奴隷になった』170頁 成甲書房)と。

 次々に起こる“偽情報”に騙されないように、特に我々日本人はこの本を熟読する必要があると思われる。

2013年9月25日水曜日

朝日新聞投書(2004年5月5日)から


たばこを厚生労働省の管轄に

                 たばこ病訴訟弁護団長 伊佐山芳郎
                     (「嫌煙権確立をめざす法律家の会」代表世話人)

 (今から9年前に朝日新聞の投書欄に掲載されたものです。データがやや古くなっていますが、ここで指摘した厚生行政の遅れは、現在もまだ続いています ので、のままご紹介します)                      

 5月5日の「なんでだろう、たばこ吸う人」を投書した高橋大樹君(中学生)へ。
「たばこを吸う人はいろんな病気になりやすいし、周りの人はもっと健康を害する、どうして、そんな悪いものを吸うことが許されるのか」という君の疑問は鋭い指摘です。

 たばこ事業法は、「我が国たばこ産業の健全な発展を図り、もって財政収入の安定的確保及び国民経済の健全な発展に資する」とその目的を定めています(第1条)。日本では、たばこは財政収入源の問題で、健康問題の視点がないのです。たばこの管轄が厚生労働省ではなく財務省となっているのは、世界に例がなく時代錯誤です。

 国民の命や健康を大事にしなければならない日本の政府は、外国では「肺がんの原因」等表示されている喫煙の有害表示・警告表示を、「吸いすぎに注意」などというあいまい表示でごまかしてきました。人々にたくさんたばこを吸わせて、財政収入を増やそうという国の誤った政策が、「国際たばこ枠組み条約」によって、今大きく変更を迫られています。

 厚生労働省の報告によれば、たばこを吸わなければ死なないですむ「超過死亡数」が1995年時9万5000人(年間)と発表されています。たばこ事業法を廃止して、厚生労働省の管轄にすべきです。25年前からの私たち嫌煙権運動の主張です。

2013年7月23日火曜日

本を読む(3)


三浦綾子著「氷点」(上・下・続)(角川文庫)

 

 この小説は、愛と罪と赦しをテーマにした著者の代表作である。

 辻口病院長夫人・夏枝が青年医師・村井と逢い引きしている間に、3歳の娘ルリ子が殺害された。夫辻口は妻への復讐心から、極秘に犯人の娘・陽子を、妻夏枝に育てさせることを画策する。

何も知らない夏枝と長男・徹に愛され、すくすくと育つ陽子であった。ところが、夏枝は、夫辻口が友人高木に宛てた手紙の下書きを、偶々目にしてしまう。その中に書かれていた内容に夏枝は驚愕する。辻口の、妻から裏切られた思いや陽子がルリ子を殺した犯人の娘であること、などを書き綴った手紙であった。夏枝は、激しい憎しみと苦しさから、それまでかわいがっていた陽子を殺そうとその喉に手をかけた―。

 兄・徹は陽子に愛情をそそぐが、思いを自制するために友人・北原に陽子を紹介する。北原と陽子は心を通わせる。これを見た夏枝は複雑な嫉妬心から、2人に陽子の出生の秘密をぶちまけてしまう。
 ルリ子を殺した犯人の娘であることを知らされた陽子は、その夜、父辻口と母夏枝、友人北原、兄徹に遺書を書いて、ルリ子が殺された同じ川原で自殺を図る。何が、陽子を自殺へと追いやったのか。

小説は一気にクライマックスへ。

 陽子の遺書は涙なくして読めない。遺書の全文は本に譲るとして、次の抜粋のみ紹介する。

  「自分さえ正しければ、私はたとえ貧しかろうと、人に悪口を言われようと、意地悪くいじめられようと、胸をはって生きて行ける強い人間でした。そんなことで損なわれることのない人間でした。何故なら、それは自分のソトのことですから。
   しかし、自分の中の罪の可能性を見出した私は、生きる望みを失いました。私の心は凍えてしまいました。陽子の氷点は、「お前は罪人の子だ」というところにあったのです。
   おとうさん、おかあさん、どうかルリ子姉さんを殺した父をおゆるし下さい。
   では、くれぐれもお体をお大事になさって下さい。陽子は、これからあのルリ子姉さんが、私の父に殺された川原で薬を飲みます。
   昨夜の雪がやんで、寒いですけれど、静かな朝が参りました。私のような罪の中に生まれたものが死ぬには、もったいないような、きよらかな朝です。
   何だか、私は今までこんなに素直に、こんなにへりくだった気持になったことがないように思います。
陽子

  おとうさま

  おかあさま                       」

 

 氷点続上

 その氷点続上で、心を打たれた一文がある。

  「一生を終えてのちに残るのは、われわれが集めたものではなくて、われわれが与えたものである」

 著者は、旅先から父辻口に宛てて書いた手紙の中で、このジェラール・シャンドリという人の言葉を、陽子に語らせている。

 手紙の文章は続く。

  「おとうさん、陽子にはまだ生きる目的もよくわかりませんし、人生の何たるかも知りません。でも、ジェラール・シャンドリの言葉によって、何か一条の光が胸にさしこんだような気がします。他の人には何の価値ももたらさない生き方と、そうでない生き方、そんなことも考えさせられました。
   とにかく、どんな風に自分の歩みが変わるかわかりませんけれど、陽子はようやく、自覚的に足を一歩踏出そうとしているのです。…」
 

 電車の中、喫茶店などで、上・下・続の3冊を1週間ほどで一気に読み終えたが、度々感涙に咽んだ。
 冒頭に、「愛と罪と赦しをテーマ」にした小説と紹介したが、非常に深い内容で読み応えのある小説である。

 

2013年7月9日火曜日

清水健太郎氏(元俳優)の合成麻薬αーPVP使用による逮捕の法的問題を考える


 清水健太郎氏のケースは、合成麻薬「α―PVP」がこれまで合法だったのが、今年3月、厚生労働省が麻薬に指定した、という経緯があり、この点がこの問題を考えるうえのポイントになると考えます。
 わかりやすく言えば、厚生労働省が麻薬に指定した翌日、合成麻薬「α―PVP」を使用した、というケースの場合だったら、どうでしょうか。早い話が、昨日までは合法、今日から違法ということになるわけです。
 しかも、清水氏の場合は、前科があり実刑判決を受けていますから、合法だと思っていたら、前日に麻薬に指定されていた、ということで逮捕・起訴されれば、法律的に執行猶予が付けられず再び実刑判決を免れません。このような場合、昨日か今日かで天国と地獄の分かれ目となってしまう、というようなことも起こりうるということになります。
 刑法第38条3項によれば、「法律を知らなかったとしても、そのことによって、罪を犯す意思がなかったとすることはできない」とあります。この条文を読めば、法律を知らないという抗弁はできない、ということになります。これはどういうことかというと、法律を知らないというだけでは、行為者に対する非難可能性になんらの影響もない、ということなのです。
 しかし、法律を知らなかったというだけでなく、行為者が違法であることの意識もなかったという場合はどうか。これが、実は、刑法上、「違法性の意識の問題」として、学説判例がさまざまに対立するほどの重大な問題なのです。
 ちょっと覗いてみましょう。
 犯罪事実を認識したとしても、その違法性を意識しなければ、行為者は行為に際して法的だけでなく道義的にも抑制感情に遭遇しなかったはずであるから、「罪を犯す意思」があったものとして非難できない、という考え方(違法性の意識は故意の要件とする説)には、確かに説得力があります。しかし、違法性の意識があったのか、なかったのか、あるいは、その意識が強かったのか、弱かったのか、によって非難の有無、大・小を決めるということにすると、犯行を反復することによって違法性の意識が鈍麻してしまった常習犯人は、規範意識が強い抵抗力をもっている初犯者よりも、かえって、軽い非難しか加えることができないと批判されます。そういう意味では、違法性の意識があるかないかではなく、違法性の意識が鈍麻するに至ったこと自体に、人格形成についての非難を受けるべきである、ということになります。このように考えれば、常習犯人が重く罰せられていること(常習強窃盗は、「盗犯等ノ防止及び処分二関スル法律」により、通常の強盗罪、窃盗罪より重罪)の意味を理解することができると思います。
 そこで、違法性の意識を欠くようなケースの場合、何らかの事情があるはずと考えて、そのような事情の下では、行為を違法でないと信じるのが全く無理もないという場合には、非難可能性はなくなると考えるべきではないかということになります。
判例を概観しますと、下級審の判例には、これまで述べてきた見解と同じような判断をしているものもかなりありますが、最高裁は、「違法性の意識は故意の要件ではない」としています。
 清水氏は、合成麻薬「α―PVP」を使用した疑いで逮捕されたときに、「違法と知らなかった」と弁解しています。彼の弁解をどう考えるべきでしょうか。
 冒頭では、昨日までは合法であったが、今日から違法麻薬として指定された場合、という極端なケースを考えました。
それでは、清水氏の場合はどうでしょうか。
合成麻薬「α―PVP」の厚生労働省による麻薬指定が今年の3月ということで、まだ違法麻薬の周知期間が短いことを考えますと、「違法であることを知らなかった」という清水氏の弁解も理解できなくはありません。
 その後の報道によりますと、検察側は、処分保留で、清水氏の身柄を釈放したと報じられています。私は、今回の検察官の清水氏に対する処分は正しいと考えます。
 検察官から、「次は違法なものとは思わなかったという言い訳は通用しない」と厳しく言い渡されたとも報じられています。
 清水氏には、検察官の最後の温情と受け止めて、ぜひ立ち直ってもらいたいと思います。

2013年6月18日火曜日

「謝れ」と迫ったら、強要罪になるのか?

(新聞報道から)
 
「校長、副校長、学年主任、担任のフルネームと実印を押して原本をよこしてくれ」。小学校に通う子どもがケガをしたのは担任のせいだとクレームをつけ、学校側に「謝罪文」を書かせようとした男が323日、強要未遂の疑いで逮捕された。
2012年12月、男の長女が帰宅途中に転倒して小指を骨折したことを受けて、男は学校に対して、「担任が荷物をたくさん持たせて帰宅させたのが原因」と言いがかりをつけて、謝罪を要求し続けたのだという。男は「強要はしていない」と容疑を否認していると伝えられている。 

強要罪については、刑法第223条が定めています。

    「生命・身体・自由・名誉・財産に対し害を加える旨を告知して脅迫し、または暴行を用いて、人に義務のないことを行わせ、又は権利の行使を妨害した者は、3年以下の懲役に処する。」(1項)
    「親族の生命・身体・自由・名誉・財産に対し害を加える旨を告知して脅迫し、人に義務のないことを行わせ、又は権利の行使を妨害した者も、前項と同様とする」(2項)
     未遂罪も罰せられる(3項)。

すなわち、強要罪が成立するためには、手段として脅迫または暴行がなされることが必要です(但し、2項の場合には、暴行は含まれていない)。脅迫を手段とする場合、相手が恐怖心を生じなければ強要の既遂にはならないと解されています。この点、脅迫罪(刑法第222条)の場合は、害悪の告知があれば足り、それによって被害者が現実に恐怖心を生じたことは必要ではないと解釈されており、その点に違いがあります。
そして、脅迫・暴行の結果として、相手に義務のないことを行わせるか、または行うべき権利を妨害したことを要します。
従って、脅迫・暴行を手段として、相手方に義務のあることを行わせた場合は、強要罪ではなく脅迫罪・暴行罪を論じるべきと解されます〔岡野光雄著「刑法要説各論」(成文堂)〕。
次に、強要罪の未遂のケースを考えて見ましょう。
強要罪の手段としての脅迫・暴行はあったが、相手方に義務のないことを行わせ又は行うべき権利を妨害するまでに至らなかった場合には、強要罪の未遂となります。従って、脅迫や暴行そのものが未遂に終わったケースであれば、未遂にもなりません。例えば、強要の目的で脅迫状を郵送したが、相手方に到達しなかったような場合は、強要未遂罪は成立しないと解されます。 

さて、問題のケースを考えます。

これまで、見てきましたように、長女の父親が、学校に対して、謝罪を要求したからといって、それだけでは強要罪にはなりません。学校側には謝罪すべき義務がない事案であるにも拘わらず、父親が脅迫・暴行を手段として、「謝罪を要求する」という事実でなければ、父親の要求は刑法第223条の強要罪には該当しないということになり、犯罪としては脅迫・暴行罪ということになると考えます。
他方、謝罪を要求する父親の言い分に根拠がある場合、即ち学校側の長女への対応にミスがあって、謝罪に値するような事案であれば、長女の父親が仮に脅迫・暴行を手段として謝罪要求をしたのだとしても、強要罪ではなく単なる脅迫罪,暴行罪として問議すべきだということになると思われます。又、父親が謝罪を要求し続けたとしても、脅迫・暴行を手段としていないのであれば、父親の学校への謝罪要求は犯罪にはならないといわなければなりません。また、父親の学校側への謝罪要求が、法的根拠のない「いいがかり」だったとしても、脅迫・暴行を手段としていなければ、強要未遂罪にもならないと考えます。

ということで、「強要はしていない」という父親の言い分が、脅迫・暴行を手段としていないという意味であり、それが事実とすれば、父親の刑事上の問題は何ら生じず、逮捕は不当で冤罪ということになると考えます。

死刑囚の証人尋問は公開法廷が正しい


1、裁判の公開の意味

憲法82条1項は、「裁判の対審及び判決は、公開法廷でこれを行ふ」と定めている。この裁判公開の原則の保障は、秘密裁判を排除することにより、裁判の公正を確保するためである。近代的裁判制度の基本原則の一つとされる。特に、刑事事件については、憲法37条1項で、刑事被告人の権利として「公開裁判を受ける権利」が強調されている。
憲法はなぜこのように裁判公開の原則を保障したのであろうか。それは、国民主権の理念のもと、裁判を公開することによって、国民が裁判を自由に批判できるようにし、国民が公正な裁判を受けられるようにすることである。これによって、裁判に対する国民の信頼を確保し、ひいては国民の基本的人権の保障を確実なものにするためである。従って、この裁判公開の原則は、可能な限り広く解されなければならないと考える。

2、裁判が公開されない場合

では、裁判が公開されない場合はあるのであろうか。
82条2項によれば、「裁判所が裁判官の全員一致で、公の秩序又は善良の風俗を害する虞があると決した場合には、対審は、公開しないでこれを行ふことができる」と定めた上で、但書で、「政治犯罪、出版に関する犯罪又はこの憲法第3章で保障する国民の権利が問題となってゐる事件の対審は、常にこれを公開しなければならない」と定めている。つまり、裁判公開の原則の例外を認めるものの、その例外の場合を厳格に制限している。

3、 オウム真理教の元幹部の「死刑囚」が出廷する証人尋問を公開すべきかどうかについて、弁護側と検察が対立していると報じられている。公開を主張する弁護側に対し、検察側は、「外部接触を禁じられた死刑囚が法廷で傍聴人らを見て動揺する可能性がある」とか、「拘置所から裁判所に移動する際に逃走や教団関係者による身柄奪還の恐れがある」などという理由を掲げて裁判公開に反対意見を述べている、とのことである。
憲法が規定する裁判公開の原則の理念は、「裁判の公正」であり、「国民の基本的人権の保障」の担保という極めて重いものである。だからこそ、憲法82条2項は、裁判非公開とする場合は、「裁判官の全員一致で」、「公の秩序又は善良の風俗を害する虞があると決した場合」だけに厳しく制限しているのである。
検察の掲げる裁判非公開の理由を考えるに、いずれも「死刑囚」の証人尋問を非公開にする理由としては薄弱であり、上記の裁判非公開の事由に匹敵するほどの根拠があるとは到底考えられない。
まず、「外部接触を禁じられた死刑囚が法廷で傍聴人らを見て動揺する可能性がある」という“あいまい”な理由は、裁判公開の原則が近代的裁判制度の基本原則の一つとされることに鑑みて、あまりに浅薄すぎて、このような理由が、本当に検察側から法廷に提出されたものなのか、俄かに信じがたい、というのが筆者の正直な感想である。
次に、「拘置所から裁判所に移動する際に逃走や教団関係者による身柄奪還の恐れがある」という点についても、何おかいわんや、であろう。教団関係者による「身柄奪還の恐れ」に共感する市民は一人もいないであろう。万が一、治安当局にそのような心配が本当にあるというのであれば、それなりの防備をすれば済むことであって(通常の警備以上の必要性はまずないであろう)、そのような漠然とした“不安”を理由にして、裁判公開の原則の例外とすることが許されないことは明らかというべきであろう。

  裁判の公開の原則は、司法の独善を防ぎ、人権抑圧的な裁判にならないようにするための基本的原則であることを改めて肝に銘じたい。

2013年5月29日水曜日

 本を読む(2)



和田秀樹著「東大の大罪」(朝日新聞出版社) 

 

 原発事故の後、NHKに連日のように登場し、放射能の害はたいしたことはなく、心配ないなどというコメントをしていた東大大学院工学研究科のS教授の研究室に数億円のカネが東電から流れていたことが週刊誌等で報じられると、S教授はNHKのブラウン管から消えた。
 当時、やはりそうだったのか、という落胆と怒りが生じたのを覚えている。この間の事情については、2011年4月7日の日刊ゲンダイで詳しく報じられている。
 最近、和田秀樹氏の「東大の大罪」という本に出会った。和田氏は、東大医学部出身の精神科医で、国際医療福祉大学大学院教授でもある。本の巻末で、勉強法やメンタルケアに関する著書多数と紹介されている。
 ぜひ一読をお薦めしたい本である。特に印象に残ったいくつかの文章を紹介したい。 

[一昨年(2011年)三月一一日の東日本大震災によって、福島第一原発は最悪のレベル7のメルトダウン事故を起こしました。国策として進められてきた日本の原子力発電ですが、原子炉技術者も、電力会社の上層部も、政府の委員会メンバーも―「原子力ムラ」といわれますが―その多くが東大関係者で占められていることに、あらためて驚かれた方も多いでしょう。
 いまも避難を余儀なくされている人が十六万人おり、日本の国際的信用も落としかねないこの大事故について、彼らはなんら責任を取っていません](4~5頁) 

[私自身、東大の卒業生ですから、正直に言えば母校の悪口など言いたくはありません。しかし、この国を支えるべきエリートたちの惨憺(さんたん)たる現状を見ていれば、そこに多くの人材を輩出している東大が何か病を抱えているのは間違いない。そこにメスを入れないかぎり、まともなエリートは育たず、したがって日本の将来は危ういのではないか―私には、そんなふうに思えてならないのです](7頁) 

[東大が気にしているのは、大学の「国際ランキング」です。文部科学省がこのランキングを加味して補助金の額を決めるとされているので、東大としても国際競争を意識しないわけにはいかないのでしょう](38頁) 

[では、こうした国際ランキングを上げるために、東大はどんな努力をしているのか。
 そのためには、学生の教育内容を高める必要もなければ、就職率を上げる必要もありません。東大がおもに進めているのは、研究論文の引用頻度を高めることと、留学生比率を増やすことの二つです。
 しかも前者に関しては、自分たちの論文の本数や内容を上げることではなく、外国から引き抜いた優秀な学者に論文をたくさん書かせることで高めようとしています。いずれも「外国人頼み」で、国内の東大生にとっては何のメリットもありません](39頁) 

[外国で失敗したゆとり教育を二〇年遅れで日本にもってきて、アジア最低の学力になったように、欧米で失敗した金持ち優遇税制を何十年遅れでもってきて、アジア最低の国にするつもりなのでしょうか。
 こういうことの主犯は、二〇年、三〇年前にアメリカに留学して、その後、ろくに勉強していないとしか思えない大学教授、とくに東大教授たちです。
 私の頭には、小渕内閣の経済戦略会議や小泉改革ブレーンとして新自由主義の旗振りをし、最近では「社会保障と税の一体改革」論者として消費増税にお墨付きを与え、さらには現在の安倍内閣ブレーンとしてバラマキを追認している伊藤元重教授の顔が浮かびます。今でもテレビにもよく登場しています](76頁) 

[東大の場合、教授は定年まで身分が保証されます。したがって、セクハラやパワハラなどの不祥事でも起こさないかぎり、教授になってからまったく勉強しなくても、六五歳までは定年を延長できてしまいます(逆に、ものすごく優秀でも六五歳になると東大の正教授は辞めないといけません)。それでも、東大の威光で勝手にその学問の権威と思われてしまいます。そのため、世界の新しい潮流を知らない東大教授が学会のトップに君臨し、政治家や官僚に経済政策を提言している。これでは、政策が「前例踏襲」になるのも当然です。
 しかもその提言はオリジナルな理論に基づくものではないので、失敗しても学者はさほど大きな傷を負いません](81頁) 

自分より劣った人材を教授に推薦
[では、なぜ東大は外部から優秀な学者を教授として招聘しないのでしょうか。
 それは、「教授が教授を選ぶシステム」だからです。これは、東大にかぎりません。学校教育法の定めによって、日本の大学は教授会に教授の人事権を付与しています。
 これは、はっきり言って、教授のレベルを落とすために採用された制度としか思えません。それはそうでしょう。たとえばプロ野球のドラフト会議で、誰を指名するかを現役選手に決めさせたらどうなるか。「同じポジションのほうが事情が分かるだろうから」と投手を投手に選ばせれば、自分の登板機会を奪いそうな実力のある優秀な選手を指名するわけがありません。自分より力が劣り、素直に先輩の言うことを聞きそうな従順な後輩を入れたがるでしょう](156~157頁) 

[教授会での教授選びも例外ではありません。自分の立場を守ろうと思えば、外部からグローバルな競争力を持つ学者を連れてくることなど、とんでもない話です。講師や准教授の中から、自分を乗り越えそうもない従順な手下を選んで教授にしておけば安泰です](158頁) 

[ちなみにアメリカの大学では、教授を教授会に選ばせたりはしません。教授の人事に関しては、「ディーン」と呼ばれる学部長に大きな権限が与えられています。ディーンはどんなにすごい実力を持つ教授が来ても自分の立場は脅かされないので、きちんとした基準で、自分の大学にとってメリットの大きい人材を連れてくることができるのです。
 日本もそのような人事制度に改めないかぎり、東大が世界と戦える教授陣を持つことはないでしょう。元大蔵官僚の榊原英資氏も、「教授会に人事権を与えている学校教育法の条文を撤廃しないかぎり、日本はグローバルな競争に勝てない」という意味のことをお書きになっていました。私もまったく同感です](158~159頁)

2013年5月24日金曜日

騙されるな!憲法96条改正論は“まやかし”であり邪道


憲法改正の手続きを定める96条を改正し、「各議院の総議員の3分の2以上の賛成で、国会がこれを発議」という要件を緩めようとするのは“まやかし”であり邪道である。
現在、96条を改正しようとする政党や政治家は、その先にある、戦争放棄を定めた9条改正を本当の狙いとしていることは明らかで、非常に姑息であり、それだけに危険である。「国民よ、騙されるな!」と言いたい。
憲法は、国の基本法である。日本の憲法は硬性憲法であり、改正手続きが厳しく定められている。仮に、憲法が容易に改正できることになれば、その時々の権力者の思うように憲法を改正できることになり、国家が不安定になる。だから、権力者を縛る法という意味で、安易な憲法改正ができないようにしている。その意味で、憲法改正の発議のハードルを高くしているのである。
日本の憲法が、世界の中で、特に改正のハードルが高いなどと言われることがあるが、それは嘘である。
アメリカでは、憲法改正の発議をするためには、上下両院それぞれ3分の2以上の賛成が必要である。加えて、50州のうち、4分の3以上の州議会の同意を得えなければならないとされており、日本よりはるかに厳しいといえる。ドイツでは、連邦議会の3分の2以上、連邦参議院の3分の2以上の賛成が必要とされる。それにもかかわらず、アメリカでもドイツでも、憲法の改正はたびたびなされている。
アメリカやドイツの例を見れば、改正手続きが厳しいから、憲法改正が出来ないのだ、という意見は“まやかし”であることがわかる。
諸外国で、改正手続だけを先行して、これに手を付けた例は寡聞にして知らない。
憲法改正論者が、その正当性をいうのであれば、正々堂々と憲法改正全体をどのように考えているのか、真正面から問題提起すべきであって、それを隠して96条の改正手続きを先行させるというのは邪道であり卑怯である。
以上の理由により、96条改正論には断固反対する。

 

2013年5月22日水曜日

本田勝彦JT元社長のNHK経営委員長就任は言語道断


  このたび、JT元社長の本田勝彦氏のNHK経営委員長就任の報道がなされた。これに対し、  禁煙ジャーナルの渡辺文学編集長の呼びかけで、日本禁煙学会の緊急声明とともに、筆者は、2013年5月20日、各党の関係者に対し、抗議声明を送信しました。声明の要旨と名宛人は下記のとおりであります。              
 
 
  
 
 
抗議声明(要旨) 

   5月19日の朝日新聞によりますと、JTの元社長であった本田勝彦氏がNHK経営委員長に就任の見通し、と報じられています。
   しかし、この人事案には断固反対であります。その理由は下記のとおりです。
   放送法第1条によれば、「この法律は、次に掲げる原則に従って、放送を公共の福祉に適合するように規律し、その健全な発達を図ることを目的とする」としたうえで、2項において、「放送の不偏不党、真実及び自律を保障することによって、放送による表現の自由を確保すること」と定めています。
   たばこ産業の最高幹部であった者が、こともあろうにNHKの経営委員長に就任などということになれば、この放送法の基本理念に著しく悖ることは明らかであります。
たばこ会社は、人命を損なう公害企業であるというのが、国際的知見であり、これを基にたばこ規制枠組み条約が第56回世界保健総会において全会一致で採択され、我が国は、2004年5月19日に同条約を国会承認し、2005年2月2日公布、同月27日に効力発生しておりますことはご案内のとおりであります。
   このたばこ規制枠組み条約第5条によれば、
   「たばこの消費、ニコチンによる習慣性及びたばこの煙にさらされることを防止し及び減少させるための適当な政策を策定するに当たり、効果的な立法上、執行上、行政上又は他の措置を採択し及び実施し、並びに、適当な場合には、他の締約国と協力すること」(2項(b))
「締約国は、たばこの規制に関する公衆の健康のための政策を策定し及び実施するに当たり、国内法に従い、たばこ産業の商業上及び他の既存の利益からそのような政策を擁護するために行動する」(3項)
  と定めています。
   報じられているJTの元社長本田勝彦氏のNHK経営委員長就任は、たばこ規制の国際的動向に真っ向から反する、偏頗な人事であることは疑いようがなく言語道断と言わざるをえません。
   以上の理由により、断固反対を表明します。
 
 
(声明文送信先ー順不同)

  民主党党首 海江田万里殿
  長妻 昭 殿
 みんなの党党首 渡辺喜美殿
 社会民主党党首 福島瑞穂殿
 日本共産党党首 志位和夫殿
 笠井亮 殿
日本未来の党党首 阿部知子殿
自由民主党
 尾辻秀久殿
 武見敬三殿
公明党党首山口那津男殿
 松あきら殿