2013年6月18日火曜日

死刑囚の証人尋問は公開法廷が正しい


1、裁判の公開の意味

憲法82条1項は、「裁判の対審及び判決は、公開法廷でこれを行ふ」と定めている。この裁判公開の原則の保障は、秘密裁判を排除することにより、裁判の公正を確保するためである。近代的裁判制度の基本原則の一つとされる。特に、刑事事件については、憲法37条1項で、刑事被告人の権利として「公開裁判を受ける権利」が強調されている。
憲法はなぜこのように裁判公開の原則を保障したのであろうか。それは、国民主権の理念のもと、裁判を公開することによって、国民が裁判を自由に批判できるようにし、国民が公正な裁判を受けられるようにすることである。これによって、裁判に対する国民の信頼を確保し、ひいては国民の基本的人権の保障を確実なものにするためである。従って、この裁判公開の原則は、可能な限り広く解されなければならないと考える。

2、裁判が公開されない場合

では、裁判が公開されない場合はあるのであろうか。
82条2項によれば、「裁判所が裁判官の全員一致で、公の秩序又は善良の風俗を害する虞があると決した場合には、対審は、公開しないでこれを行ふことができる」と定めた上で、但書で、「政治犯罪、出版に関する犯罪又はこの憲法第3章で保障する国民の権利が問題となってゐる事件の対審は、常にこれを公開しなければならない」と定めている。つまり、裁判公開の原則の例外を認めるものの、その例外の場合を厳格に制限している。

3、 オウム真理教の元幹部の「死刑囚」が出廷する証人尋問を公開すべきかどうかについて、弁護側と検察が対立していると報じられている。公開を主張する弁護側に対し、検察側は、「外部接触を禁じられた死刑囚が法廷で傍聴人らを見て動揺する可能性がある」とか、「拘置所から裁判所に移動する際に逃走や教団関係者による身柄奪還の恐れがある」などという理由を掲げて裁判公開に反対意見を述べている、とのことである。
憲法が規定する裁判公開の原則の理念は、「裁判の公正」であり、「国民の基本的人権の保障」の担保という極めて重いものである。だからこそ、憲法82条2項は、裁判非公開とする場合は、「裁判官の全員一致で」、「公の秩序又は善良の風俗を害する虞があると決した場合」だけに厳しく制限しているのである。
検察の掲げる裁判非公開の理由を考えるに、いずれも「死刑囚」の証人尋問を非公開にする理由としては薄弱であり、上記の裁判非公開の事由に匹敵するほどの根拠があるとは到底考えられない。
まず、「外部接触を禁じられた死刑囚が法廷で傍聴人らを見て動揺する可能性がある」という“あいまい”な理由は、裁判公開の原則が近代的裁判制度の基本原則の一つとされることに鑑みて、あまりに浅薄すぎて、このような理由が、本当に検察側から法廷に提出されたものなのか、俄かに信じがたい、というのが筆者の正直な感想である。
次に、「拘置所から裁判所に移動する際に逃走や教団関係者による身柄奪還の恐れがある」という点についても、何おかいわんや、であろう。教団関係者による「身柄奪還の恐れ」に共感する市民は一人もいないであろう。万が一、治安当局にそのような心配が本当にあるというのであれば、それなりの防備をすれば済むことであって(通常の警備以上の必要性はまずないであろう)、そのような漠然とした“不安”を理由にして、裁判公開の原則の例外とすることが許されないことは明らかというべきであろう。

  裁判の公開の原則は、司法の独善を防ぎ、人権抑圧的な裁判にならないようにするための基本的原則であることを改めて肝に銘じたい。