死刑制度は廃止すべきである


      死刑は、誤判の場合、取り返しがつかないという意味で致命的であります。一般的に、人間の判断には誤りが避けられない、という問題もありますが、もっと心しなければならないことは、わが日本の刑事裁判手続きにおいて、「疑わしきは被告人の不利益に」という裁判の現実があることであります。

   その前提として、まず、捜査当局による証拠捏造、隠蔽の現実があります。大阪地検検事による証拠捏造の事件は記憶に新しいところです。捜査当局による証拠隠蔽の代表的な事件が、松川事件における、検察官による“アリバイ証拠の隠蔽”です。一審、二審と死刑判決を受けた被告人が、その日時に労使交渉に出席していたことを示す「諏訪メモ」を、副検事が転勤先に持って行って隠蔽したという事件です。上告審で、弁護側の証拠開示申立を受けた最高裁の提出勧告によって、検察側からやっとこの諏訪メモが提出され、被告人は、死刑から無罪への逆転判決になったという事件であります。

   筆者の経験から、刑事事件を扱う裁判官の多くは、人間的にも信頼でき、誠実である裁判官が少なくないと信じています。しかし、今回の袴田事件における第一審死刑判決から最高裁の上告棄却、そして再審における軌跡をみても、誤判というのには、余りに裁判官の検察側に対する認識の甘さ(予断と偏見)が浮き彫りになっていると思われます。99%有罪率などという日本の刑事裁判の現実は、憂うべきことと言わなければなりません。

   さて、死刑に関する国際的動向についてみますと、自由権規約第2選択議定書(死刑廃止議定書)が1989年12月に国連総会で採択されてから、世界の多くの国々が、死刑制度を廃止ないし死刑執行を停止しています。死刑制度を全面廃止した国の数は、1991年の48か国から2010年の96か国にまで推移していると報告されています。

   そして、2007年5月、国連拷問禁止委員会は日本に対し死刑執行停止を求める勧告を行っています。日本は、国際人権規約を批准していますし、国連人権理事会の理事国を務めています。このような国際的動向に鑑みましても、死刑制度の廃止が待ったなしになっていると考えます。