2013年6月18日火曜日

「謝れ」と迫ったら、強要罪になるのか?

(新聞報道から)
 
「校長、副校長、学年主任、担任のフルネームと実印を押して原本をよこしてくれ」。小学校に通う子どもがケガをしたのは担任のせいだとクレームをつけ、学校側に「謝罪文」を書かせようとした男が323日、強要未遂の疑いで逮捕された。
2012年12月、男の長女が帰宅途中に転倒して小指を骨折したことを受けて、男は学校に対して、「担任が荷物をたくさん持たせて帰宅させたのが原因」と言いがかりをつけて、謝罪を要求し続けたのだという。男は「強要はしていない」と容疑を否認していると伝えられている。 

強要罪については、刑法第223条が定めています。

    「生命・身体・自由・名誉・財産に対し害を加える旨を告知して脅迫し、または暴行を用いて、人に義務のないことを行わせ、又は権利の行使を妨害した者は、3年以下の懲役に処する。」(1項)
    「親族の生命・身体・自由・名誉・財産に対し害を加える旨を告知して脅迫し、人に義務のないことを行わせ、又は権利の行使を妨害した者も、前項と同様とする」(2項)
     未遂罪も罰せられる(3項)。

すなわち、強要罪が成立するためには、手段として脅迫または暴行がなされることが必要です(但し、2項の場合には、暴行は含まれていない)。脅迫を手段とする場合、相手が恐怖心を生じなければ強要の既遂にはならないと解されています。この点、脅迫罪(刑法第222条)の場合は、害悪の告知があれば足り、それによって被害者が現実に恐怖心を生じたことは必要ではないと解釈されており、その点に違いがあります。
そして、脅迫・暴行の結果として、相手に義務のないことを行わせるか、または行うべき権利を妨害したことを要します。
従って、脅迫・暴行を手段として、相手方に義務のあることを行わせた場合は、強要罪ではなく脅迫罪・暴行罪を論じるべきと解されます〔岡野光雄著「刑法要説各論」(成文堂)〕。
次に、強要罪の未遂のケースを考えて見ましょう。
強要罪の手段としての脅迫・暴行はあったが、相手方に義務のないことを行わせ又は行うべき権利を妨害するまでに至らなかった場合には、強要罪の未遂となります。従って、脅迫や暴行そのものが未遂に終わったケースであれば、未遂にもなりません。例えば、強要の目的で脅迫状を郵送したが、相手方に到達しなかったような場合は、強要未遂罪は成立しないと解されます。 

さて、問題のケースを考えます。

これまで、見てきましたように、長女の父親が、学校に対して、謝罪を要求したからといって、それだけでは強要罪にはなりません。学校側には謝罪すべき義務がない事案であるにも拘わらず、父親が脅迫・暴行を手段として、「謝罪を要求する」という事実でなければ、父親の要求は刑法第223条の強要罪には該当しないということになり、犯罪としては脅迫・暴行罪ということになると考えます。
他方、謝罪を要求する父親の言い分に根拠がある場合、即ち学校側の長女への対応にミスがあって、謝罪に値するような事案であれば、長女の父親が仮に脅迫・暴行を手段として謝罪要求をしたのだとしても、強要罪ではなく単なる脅迫罪,暴行罪として問議すべきだということになると思われます。又、父親が謝罪を要求し続けたとしても、脅迫・暴行を手段としていないのであれば、父親の学校への謝罪要求は犯罪にはならないといわなければなりません。また、父親の学校側への謝罪要求が、法的根拠のない「いいがかり」だったとしても、脅迫・暴行を手段としていなければ、強要未遂罪にもならないと考えます。

ということで、「強要はしていない」という父親の言い分が、脅迫・暴行を手段としていないという意味であり、それが事実とすれば、父親の刑事上の問題は何ら生じず、逮捕は不当で冤罪ということになると考えます。

死刑囚の証人尋問は公開法廷が正しい


1、裁判の公開の意味

憲法82条1項は、「裁判の対審及び判決は、公開法廷でこれを行ふ」と定めている。この裁判公開の原則の保障は、秘密裁判を排除することにより、裁判の公正を確保するためである。近代的裁判制度の基本原則の一つとされる。特に、刑事事件については、憲法37条1項で、刑事被告人の権利として「公開裁判を受ける権利」が強調されている。
憲法はなぜこのように裁判公開の原則を保障したのであろうか。それは、国民主権の理念のもと、裁判を公開することによって、国民が裁判を自由に批判できるようにし、国民が公正な裁判を受けられるようにすることである。これによって、裁判に対する国民の信頼を確保し、ひいては国民の基本的人権の保障を確実なものにするためである。従って、この裁判公開の原則は、可能な限り広く解されなければならないと考える。

2、裁判が公開されない場合

では、裁判が公開されない場合はあるのであろうか。
82条2項によれば、「裁判所が裁判官の全員一致で、公の秩序又は善良の風俗を害する虞があると決した場合には、対審は、公開しないでこれを行ふことができる」と定めた上で、但書で、「政治犯罪、出版に関する犯罪又はこの憲法第3章で保障する国民の権利が問題となってゐる事件の対審は、常にこれを公開しなければならない」と定めている。つまり、裁判公開の原則の例外を認めるものの、その例外の場合を厳格に制限している。

3、 オウム真理教の元幹部の「死刑囚」が出廷する証人尋問を公開すべきかどうかについて、弁護側と検察が対立していると報じられている。公開を主張する弁護側に対し、検察側は、「外部接触を禁じられた死刑囚が法廷で傍聴人らを見て動揺する可能性がある」とか、「拘置所から裁判所に移動する際に逃走や教団関係者による身柄奪還の恐れがある」などという理由を掲げて裁判公開に反対意見を述べている、とのことである。
憲法が規定する裁判公開の原則の理念は、「裁判の公正」であり、「国民の基本的人権の保障」の担保という極めて重いものである。だからこそ、憲法82条2項は、裁判非公開とする場合は、「裁判官の全員一致で」、「公の秩序又は善良の風俗を害する虞があると決した場合」だけに厳しく制限しているのである。
検察の掲げる裁判非公開の理由を考えるに、いずれも「死刑囚」の証人尋問を非公開にする理由としては薄弱であり、上記の裁判非公開の事由に匹敵するほどの根拠があるとは到底考えられない。
まず、「外部接触を禁じられた死刑囚が法廷で傍聴人らを見て動揺する可能性がある」という“あいまい”な理由は、裁判公開の原則が近代的裁判制度の基本原則の一つとされることに鑑みて、あまりに浅薄すぎて、このような理由が、本当に検察側から法廷に提出されたものなのか、俄かに信じがたい、というのが筆者の正直な感想である。
次に、「拘置所から裁判所に移動する際に逃走や教団関係者による身柄奪還の恐れがある」という点についても、何おかいわんや、であろう。教団関係者による「身柄奪還の恐れ」に共感する市民は一人もいないであろう。万が一、治安当局にそのような心配が本当にあるというのであれば、それなりの防備をすれば済むことであって(通常の警備以上の必要性はまずないであろう)、そのような漠然とした“不安”を理由にして、裁判公開の原則の例外とすることが許されないことは明らかというべきであろう。

  裁判の公開の原則は、司法の独善を防ぎ、人権抑圧的な裁判にならないようにするための基本的原則であることを改めて肝に銘じたい。