2013年3月29日金曜日

「疑わしきは被告人の利益に」の大原則と司法の現実

  「疑わしきは被告人の利益に」というのは、刑事裁判における大原則であり、「無罪推定の原則」とも言われる。その法的根拠は憲法第31条と刑事訴訟法第336条である。憲法第31条は、「何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪われ、又はその他の刑罰を科せられない」と定め、刑事訴訟法第336条は、「被告事件が罪とならない時、又は被告事件について犯罪の証明がないときは、判決で無罪の言渡をしなければならない」と定める。要するに、犯罪の立証責任は検察官にあり、検察官は、被告人が犯罪を犯したことの証明ができないときには、被告人は無罪とされる、というものである。
  しかし、実際に刑事事件を担当してみて、“疑わしきは被告人の不利益に”が原則になっているのではないかと思わざるを得ない現実にしばしば直面する。
  3,4年前、10数件の国選弁護事件(上告審)を担当した。この中に、明らかに冤罪と思われる事件があった。ここに紹介する引ったくり被告事件も冤罪の可能性は90%以上と今でも考えている。
  若い男性(当時33歳、甲とする)が、銀行から下ろしたばかりの札を数えながら道路を歩行していた。そこに当時57歳の男性(乙とする)が自転車に乗ってその男性の後ろから走行してきたところ、前から若い女性が数人歩いてきたため、乙はこれを避けようとしてハンドル操作を誤り男性に後ろから自転車をぶつけその場に倒れた。その直後、甲は乙を”ひったくり犯人”と勘違いしたのであろう、乙に殴る蹴るの暴行を加えた挙句、110番通報した。札は甲の手の中のままで、乙がその札に手をかけた形跡などは全くない事案であった。甲は暴行の事実を否認した。
 事件はどのように進展したであろうか。甲からかなりひどい暴行を受けた乙が逮捕され、そのまま起訴された。一審、二審とも有罪判決(執行猶予付)が下されたのである。
 事件当時、偶々道路の反対側から現場を目撃していた人がいた。目撃者は、報道や新聞記者の経歴の方であった。その目撃者は、被害者のはずの青年甲が乙にひどい暴行を加えていたと証言していた。財布をひったくったという事案でありながら、乙の指紋の記録は存在しない。
 筆者は乙の国選弁護人として、34頁に渡る上告趣意書を最高裁に提出したが、懸命な訴えにもかかわらず上告棄却された。「上告理由に当たらず」という一文で、弁護人の筆者の多くの疑問に何も答えないものであった。目撃証言も取り上げられず、指紋の有無も問題にされず、甲からひどい暴行を受けた乙の有罪が確定した。筆者が上告棄却されたことを報告すると、乙は電話口で声を震わせていた。
  刑事裁判の実務においては、「疑わしきは被告人の不利益に」が原則になっているといわざるをえない。有罪率99%などといわれるが、裁判官には、真実発見のための断固たる正義感と識見を期待したい。

ショパンに魅せられて

行きつけのコーヒーショップで寛いでいた時に、流れてきたピアノ曲に思わず心を奪われた。紛れもないショパンのピアノ協奏曲2番へ短調作品21第2楽章の「ラルゲット」である。
このようなすばらしい曲想がどうして生まれたのか。
フレデリック・ショパン(ポーランド)は、1810年に生まれている(~1849)。シューマンも同じ1810年生、2010年が生誕200年であった。フランツ・リストはショパンより1歳下の1811年生まれである(~1886)。
時代背景としては、1808年にゲーテの戯曲「ファースト」1部が発表され、1809年には、間宮林蔵が「間宮海峡」を発見している。
さて、このピアノ協奏曲2番は、ショパンがワルシャワ音楽院時代のコンスタンチア・グラドフスカへの初恋から生まれたものといわれている。
   当時2人とも19歳で、ショパンは既に天才的な音楽家として将来を嘱望されており、コンスタンチアは同じパリ音楽院で声楽を学ぶ同窓生であった。まばゆいほどに美しい、美貌の才媛であったと伝えられている。
   彼女に恋をしたショパンは、内気で彼女に声をかけることができず、想いを打ち明けた手紙を友人に託している。このような青年ショパンの初恋の苦しみや悩みが、一気にピアノ協奏曲第2番の名曲として誕生したともいえる。実は、ピアノ協奏曲第1番も、同じ時期の作品でコンスタンチアを想い作曲したといわれている。1番の方が一般に人気があるようであるが、筆者は、2番の方が断然好きである。コンスタンチアへのショパンの切ない慕情が切々と迫ってきて、聴く者の心を揺さぶる。
筆者は、映画「戦場のピアニスト」の主題曲であるショパンの夜想曲20番嬰ハ短調「遺作」に現在挑戦している。
この曲はショパンが20歳の頃の作品である。
このノクターンは、筆者が「戦場のピアニスト」を見てから、どうしても弾きたくなり、その想いが強く消えない。そこで、スペイン音楽の数々を日本に紹介し、国際的に活躍しておられるピアニストの高木洋子先生にその気持ちをお伝えしたところ、快く教えていただけることになった。早速、先生からクリスマスの夕べ、「ショパン ノクターン集」をプレゼントされた。
さあ、こうなったらもう後には引けない。オフィスに「夢CHOPIN Nocturne 嬰ハ短調 遺作」と張り出してのチャレンジが始まった。