2013年3月29日金曜日

ショパンに魅せられて

行きつけのコーヒーショップで寛いでいた時に、流れてきたピアノ曲に思わず心を奪われた。紛れもないショパンのピアノ協奏曲2番へ短調作品21第2楽章の「ラルゲット」である。
このようなすばらしい曲想がどうして生まれたのか。
フレデリック・ショパン(ポーランド)は、1810年に生まれている(~1849)。シューマンも同じ1810年生、2010年が生誕200年であった。フランツ・リストはショパンより1歳下の1811年生まれである(~1886)。
時代背景としては、1808年にゲーテの戯曲「ファースト」1部が発表され、1809年には、間宮林蔵が「間宮海峡」を発見している。
さて、このピアノ協奏曲2番は、ショパンがワルシャワ音楽院時代のコンスタンチア・グラドフスカへの初恋から生まれたものといわれている。
   当時2人とも19歳で、ショパンは既に天才的な音楽家として将来を嘱望されており、コンスタンチアは同じパリ音楽院で声楽を学ぶ同窓生であった。まばゆいほどに美しい、美貌の才媛であったと伝えられている。
   彼女に恋をしたショパンは、内気で彼女に声をかけることができず、想いを打ち明けた手紙を友人に託している。このような青年ショパンの初恋の苦しみや悩みが、一気にピアノ協奏曲第2番の名曲として誕生したともいえる。実は、ピアノ協奏曲第1番も、同じ時期の作品でコンスタンチアを想い作曲したといわれている。1番の方が一般に人気があるようであるが、筆者は、2番の方が断然好きである。コンスタンチアへのショパンの切ない慕情が切々と迫ってきて、聴く者の心を揺さぶる。
筆者は、映画「戦場のピアニスト」の主題曲であるショパンの夜想曲20番嬰ハ短調「遺作」に現在挑戦している。
この曲はショパンが20歳の頃の作品である。
このノクターンは、筆者が「戦場のピアニスト」を見てから、どうしても弾きたくなり、その想いが強く消えない。そこで、スペイン音楽の数々を日本に紹介し、国際的に活躍しておられるピアニストの高木洋子先生にその気持ちをお伝えしたところ、快く教えていただけることになった。早速、先生からクリスマスの夕べ、「ショパン ノクターン集」をプレゼントされた。
さあ、こうなったらもう後には引けない。オフィスに「夢CHOPIN Nocturne 嬰ハ短調 遺作」と張り出してのチャレンジが始まった。